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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)7218号 判決

原告(反訴被告) 滝沢昭夫

右訴訟代理人弁護士 大屋勇造

被告(反訴原告) 川口資材株式会社

右代表者代表取締役 柴崎道治

被告 鹿島工業株式会社

右代表者代表取締役 大場正雄

被告ら訴訟代理人弁護士 加藤了

主文

(本訴)

一、被告らは各自原告に対し金二九〇万円およびこれに対する昭和四四年八月二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は三分し、その二を原告の、その余を被告らの負担とする。

四、この判決は主文第一項に限り仮りに執行することができる。

(反訴)

一、反訴被告は反訴原告に対し金二〇万円およびこれに対する昭和四四年九月四日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、反訴原告のその余の請求を棄却する。

三、反訴費用は二分し、その一を反訴原告の、その余を反訴被告の負担とする。

四、この判決は主文第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告(反訴被告)

(本訴)

一、被告らは各自原告に対し九九七万〇一六〇円および内六一四万〇四〇〇円に対しては昭和四四年八月二日から内三二二万九七六〇円に対しては昭和四五年五月一四日から、内六〇万円に対しては昭和四六年二月一八日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

(反訴)

一、反訴原告の請求を棄却する。

二、反訴費用は反訴原告の負担とする。

との判決。

被告ら(反訴原告川口資材株式会社)

(本訴)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

(反訴)

一、反訴被告は反訴原告に対し三二万〇六二一円および内二七万〇六二一円に対しては昭和四四年九月四日から、内五万円に対しては昭和四六年二月一八日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、反訴費用は反訴被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言。

第二本訴に関する当事者の主張

(原告)

一、事故

原告は次の交通事故で受傷した。

(一) 日時 昭和四三年七月二〇日午前五時四五分頃

(二) 場所 北足立郡足立町宗岡秋ヶ瀬橋上

(三) 被告車および運転者 大型貨物自動車(埼一せ七四三一号)

訴外 臼子知一

(四) 原告車および運転者 営業用普通乗用自動車(埼五い四四三七号)

原告

(五) 態様 前記橋上において、志木方面から浦和方面に向って進行中の原告車と反対方向から進行してきた被告車とが衝突した。

(六) 傷害 原告は頭部打撲傷、脳震盪症、脳圧亢進症、骨盤環骨折、左中背骨骨折の傷害を受けた。そして、自動車損害賠償保障法施行令別表に定める障害等級第七級四号相当の後遺症がある。

二、責任原因

(一) 被告川口資材

被告川口資材は、従業員である訴外臼子をして被告車を自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により原告の損害を賠償すべき責任がある。

(二) 被告鹿島工業

被告鹿島工業は、昭和二八年五月設立され、資本金九八〇〇万円で、コンクリート製品の製造販売等を業とするものであり、被告川口資材のいわゆる親会社である。すなわち、被告川口資材は被告鹿島工業の代表者や取締役らによって昭和四二年八月設立され、資本金一〇〇万円、埋土等の採取販売を業とするものであり、両会社は、被告川口資材が被告鹿島工業へ資材を一手に納入し、同被告がこれを製品化して販売するという関係にあって、有機的に結合し、同一の企業目的に奉仕するという形態をとっている。

代表取締役以外は殆んど同じ人が取締役に名を連ね、同一の場所に本店を有し、被告車の自賠責保険契約も被告鹿島工業が契約当事者となっている。

そして、事故当時、被告車は被告鹿島工業へ同社の製品の原料たる資材を運搬する途中であった。

よって同被告もまた自賠法三条により原告の損害を賠償すべき責任がある。

仮りに然らずとするも、同被告は被告川口資材の元請として資材の運搬等について一般的指揮監督権を有し、被告川口資材をして業務の執行に当らせていたものであるから、民法七一五条により原告の損害を賠償すべき責任がある。

三、損害

(一) 休業損害 六七万七七二〇円

原告は、タクシー運転手として事故前三ヵ月平均五万三二九八円の給与を得ていたが、事故後欠勤し、その間右平均給与の六〇%にあたる労災保険金の給付は得たが、残四〇%にあたる一ヵ月二万一三二〇円の割合による二一ヵ月分(昭和四三年八月から昭和四五年四月末まで)四四万七七二〇円の給与相当分を受けられず、又昭和四三年一二月期、昭和四四年六月、同年一二月期の賞与相当分合計二三万円も支給されず、合計六七万七七二〇円の損害を蒙った。

(二) 逸失利益の現価 五三三万〇五六〇円

(イ) 原告は、昭和四五年五月一日以降も同年一二月までは休業しなければならないから、この間の逸失利益は、給与相当分一七万〇五六〇円と賞与相当分一六万円との合計三三万〇五六〇円となる。

(ロ) 昭和四六年一月以後の後遺症(自賠法施行令別表等級七級四号該当)による逸失利益は次のとおり六七五万余円となるが、そのうち五〇〇万円を本訴において請求する。

(年収) 七〇万円

(労働能力喪失率) 五六%

(就労可能年数) 二八年(昭和八年一二月生れ)

(中間利息の控除) 年五分の割合によるホフマン式計算

(計算)

700,000(円)×56/100×17,221=675万0632(円)

(三) 交通費 五万一〇〇〇円

志木中央病院への原告および家族の交通費

(四) 付添看護費 一五万三〇〇〇円

昭和四三年七月二〇日から同年一二月二〇日まで一五三日間にわたる原告の妻の付添看護について一日一〇〇〇円の割合で算出。

(五) 入院雑費 五万七九〇八円

(六) 慰藉料 三〇〇万円

前記傷害に対する慰藉料は三〇〇万円が相当である。

(七) 弁護士費用 七〇万円

本件原告訴訟代理人に支払済の手数料一〇万円と第一審の判決言渡日に支払う約束の成功報酬六〇万円との合計額。

四、結論

よって原告は被告ら各自に対し九九七万〇一六〇円および内六一四万〇四二一円に対しては訴状送達の翌々月である昭和四四年八月二日から、内三二二万九七六〇円に対しては昭和四五年五月一四日から、内六〇万円に対しては本判決言渡の日から各支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五、抗弁に対する答弁

原告の過失および訴外臼子の無過失を否認する。

本件事故はもっぱら訴外臼子の無謀な運転に基因するものである。すなわち、同訴外人は、深い霧のため視界のきかない秋ヶ瀬橋上の中央部分を時速六〇キロメートル以上の速度で暴走し、先行車が急に減速した際、追突を避けるためさらに道路の右側に進出した結果、折から道路の左側部分を時速三〇キロメートル以下の速度で対向してきた原告車に正面衝突したものである。

(被告ら)

一、請求原因に対する認否

原告主張一((六)を除く)の事実を認める。

同二の事実中、訴外臼子が被告川口資材の従業員であること、被告両者の設立経過、資本金、業態および訴外臼子が当時被告鹿島工業に資材を運搬中であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

同三の事実中、原告が本件訴訟追行を原告訴訟代理人に委任した事実は認めるが、その余の事実はすべて不知。

二、免責の抗弁

(一) 訴外臼子は、折からの濃霧のため秋ヶ瀬橋附近に於いて視界が約四〇メートル位しかきかなかったので、被告車のフォグランプおよびスモールランプを点火し、時速約三〇キロメートルに減速して幅員約五・五メートルの橋の左側欄干すれすれのところを徐行していたところ、志木町側から約一〇〇メートル手前附近に差しかかった際、前方約三〇メートルの地点に、原告車が右側を時速約八〇キロメートルで接近してくるのを発見したので、直ちに被告車を左側欄干に寄せ急停止の措置をとった。そこへ原告車が突込み、両車の右前部が激突し、その衝撃で、原告車は被告車と橋の欄干との間に真横になって、あたかも挾まれるような形で停止した。

(二) 以上のとおりであって、訴外臼子には運転上の過失はなく、事故の発生はひとえに原告の制限速度違反、前方不注視の過失によるものである。また、被告らには運行供用者としての過失はなかったし、被告車には構造の欠陥も機能の障害もなかったのであるから、被告らは自賠法三条により免責される。

第三反訴に関する当事者の主張

(反訴原告)

一、責任原因

反訴被告は、前記免責の抗弁で述べたとおり、濃霧中にもかかわらず、幅員約五・五メートルの橋上を時速約八〇キロメートルで、しかも右側部分を走行し、既に橋の左側に車を寄せ、フォグランプを点灯した状態で避譲停止している被告車前部に衝突してきた過失があるので、民法七〇九条により反訴原告の損害を賠償すべき責任がある。

二、損害

(一) 車損 二七万〇六二一円

被告車は反訴原告の所有するものであるところ、本件事故で破損した部分の修理費として二七万〇六二一円の出捐を余儀なくされた。

(二) 弁護士費用 五万円

反訴被告は反訴原告の損害を賠償しないばかりか、事実を歪曲して本訴請求をなして来たため、反訴原告は、已むなく反訴の提起を反訴原告代理人に委任し、その際成功報酬として五万円を支払う旨約した。

三、結論

よって反訴原告は反訴被告に対し三二万〇六二一円および右(一)の金員につき反訴状送達の日の翌日である昭和四四年九月四日から、(二)の金員につき反訴判決言渡の日から各支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(反訴被告)

反訴原告主張一の事実は否認する。同二の事実は不知。

第四証拠関係≪省略≫

理由

一  原告主張一の事実は(六)を除いて当事者間に争いがない。

二  そこで本件事故の過失関係について判断する。

(一)  ≪証拠省略≫によると、

本件事故現場の道路状況は別紙図面のとおりであることが認められる。なお秋ヶ瀬橋の長さは七七〇・五五メートル、有効幅員約五・五メートルで、アスファルト舗装されている。

との事実が認められる。

(二)  ≪証拠省略≫によると、

原告車は、右前部が大破し、前部バンパーの右約三分の一のところから運転席のところにかけて、フェンダーがぐしゃぐしゃにつぶれて右側にめり込んでおり、フロントガラス、右前ドアは毀損されて、脱落しており、ボンネットは曲って中央部分が持ち上っている。

他方、被告車は、前部バンパー右約四分の一のところから内側に折れ曲っており、右前輪および同部分のフェンダーが、口を開くように右に開いて、ボンネットより前部が離脱し上下に曲って、破損している。

両車とも、その左側部分には、損傷は認められない。

との事実が認められる。

(三)  ≪証拠省略≫によると、

事故時においては濃霧のため、見通しが二~三〇メートルと極めて悪かったことが認められる。

(四)  ≪証拠省略≫によると、

原告車は道路直角よりやや斜めに後部をガードレール様の欄干の上に乗せ、左側後輪はガードレールを越えていたこと、被告車と原告車とはその前部が喰い込むように接触していたことが認められる。

右認定に反する≪証拠省略≫は前掲証拠に照らしにわかに措信しがたく、≪証拠省略≫の「一寸押されると川に落ちそうな状態」であったともにわかに認めがたい。

(五)  ≪証拠省略≫によると、

被告車は前輪タイヤがいずれも右側、言いかえれば道路中央寄りに向いたまま破損固定しており、訴外岡田の八トン車が被告車の前部フックにワイヤーをかけてバックしながら引張ったところ、被告車は右へ右へと移動しながら引張られてきた、との事実が認められる。

(六)  ≪証拠省略≫によると、

訴外臼子は、「自分は時速約四〇キロメートルで浦和方面から所沢方面に向け秋ヶ瀬橋を渡ってきたところ、前方約三二メートルの付近を対向進行して来る原告車を認めた。そのまま一二・八メートル程来たとき危険を感じブレーキを踏んでハンドルを左に切ったが問にあわず、約八メートル進行した地点で原告車と衝突した」旨、現場の実況見分をした司法警察員に指示説明していることが認められる。

右認定事実を前提として、原告、訴外臼子事故直前に関する供述について検討する。

訴外臼子は、その証人尋問において、「被告車を停めてひと息入れた時にぶつけられた」旨供述するが、右供述は訴外臼子自身の指示説明とすら異なった内容であり到底信ずることはできない。さらに訴外臼子の「ハンドルを左に切って左端に寄っていた」旨の供述にも疑問がある。すなわち実況見分の際における同人の指示説明によると、約八メートルの距離でブレーキを踏みかつハンドルを切ったというのであるが、そのような措置は空走距離(時速四〇キロメートルの場合には六~七メートルは必要とされる)の関係から見ても、制動転把の効果が生ずる前に衝突するに至ってしまうことになり、左端に寄ったとは考え難いところであり、また前記認定のとおり被告車のタイヤが右に向いて破損固定していることの説明がいかんとしてもなしがたい。証拠上必ずしも被告車の左輪タイヤによって欄干下のコンクリート枠につけられたとまでは明らかではないが、新鮮なタイヤ痕が被告車進行左側の欄干下のコンクリート枠につけられていたことは≪証拠省略≫から明らかである。仮りにこれが被告車のものであるとしても、被告車が左端一杯に寄っていた確証とはなしがたい。けだし、左端を進行していて後輪がコンクリート枠に接触したため右にハンドルを切って前部が中央に進出した時に原告車と衝突したという蓋然性も認められるからである。

よって訴外臼子の供述はにわかに採用しがたい。

他方、原告本人は、橋の手前で被告車とは別のダンプとすれ違って、「ふっとした瞬間に次の対向車と衝突してしまったのです。前のダンプとすれ違ってからも、私の車は浦和方面に向け、橋の左端すれすれに走行していたのです。被告車を私が最初に見たのは二〇メートル位手前でしたが、逃げるのが精一杯でブレーキをかける間がなかったのです。体を左側に寄せたのです。私の車のスピードは約二五キロ位だったと思います。」と供述する。しかし右供述もそのままにはにわかに信用しがたい。けだし原告車の進行方向から見て現場は左にカーブしているのであるから、濃霧であるにしても、被告車のフォグランプの光を二〇メートルの至近距離に至るまで発見しえないとは言いがたいし、時速二五キロメートルで走行していたものであるならブレーキをかける暇がないとまでは言い切れない。(被告車が時速四〇キロメートルであったとしても、発見から衝突まで一秒以上時間的余裕がある)さらに被告車の前方にもう一台ダンプが走行していたことを証言するのは証人酒寄幸男(第一回)であるが、同人は「私の前にはダンプが二台と、このダンプの前にも車が一台いたと思います。そして真中にいたダンプ(被告車)が、一番先の車が急にスピードを落したためか、右にハンドルを切ったのです。そこに対向してきたタクシーが衝突したらしいのです。」と証言する。しかし同証人は一〇〇メートル位手前で本件事故を知ったとしているのであるが、前記認定の当時の濃霧の程度に徴すると、果して右証人の証言するように被告車の動静が確認出来たか疑問であるし、さらに衝突の状況を見に行ったときとの模様について第一回と第二回の証言の間に大きな喰違いがあるし、又証人村上常志の証言(第一回)とも喰い違いがあり、証人酒寄の証言は直ちに信用するわけにはいかないと言わざるを得ない。

よって原告本人の供述もそのまま採用することはできない。

当裁判所は、原告、被告とも自分の方が左端一杯に寄って走行していた旨の主張している点についてはいずれも心証をかためることができず、結局、次のような理由から双方とも左端からある程度距離を残して対向進行していて衝突したものと認める次第である。

まず第一に前記(一)の有効幅員と前記(二)の被告車と原告車との損傷部位を比較すると、ほぼ両車の重なり合う部分は五~六〇センチメートルあり、被告車の車幅約二・五メートル原告車の車幅約一・五メートルの合計約四メートルから、右重なり合う部分を引くと約三・五メートルとなり、いずれか一方が左端ぎりぎりに走行していたとすると他方は約二メートル余も左端から離れて走行していたことになる。しかし原告、訴外臼子とも本件橋の幅員状況は事故前からよく知っていたと弁論の全趣旨から認められるので、特段の必要がないかぎり、そのような間隔を一方のみがあけて走行していたとは経験則上考えられない状況にあったと言える。本件において、原告車、被告車ともことさらに相手方車線に深く進入して走行しなければならない動機を確認するに足りる証拠もない。このことは原告車、被告車とも普通道路を走行するような形で走行していたことを推測せしめるものである。

第二に、原告、被告とも全く相反する証人を立てて、争っているが、いずれも十分な心証をひくに足らないことである。原告側証人酒寄幸男、同村上常吉の証言は第一回目と第二回目との間で、裁判官が念を押して聞いた部分に喰い違いが出てきているし、被告側証人平野シヅ枝の証言も、事故後、一度も尋ねられることなく二年以上経過しているにもかかわらず、争点について余りにも明確に意識的に答えすぎているきらいがあり、(日常目撃する事故現場の状況も、関係者でないかぎり二年も経過すれば、位置関係など詳細に憶えていないのが一般である。)、証人酒寄と同様全面的には採用しがたい。又被告側申請の証人岡田由之の証言は前者に比べると信用性は高いと思われるが、同証言によれば、同人が現場に行った時間が遅く、事故時の状況がそのまま保存されていたとは必ずしも断定できないようであるから、前記被告車の前輪タイヤの状況に照らすと、同人の証言のみに依存して、原告車が一方的に中央線を超えてきたと認定することも困難であり、結局、双方とも自己の方が左端ぎりぎりを走行していたという立証が成功していないことになる。

第三に、前記のとおり事故当時は霧が極めて深く、距離の目測が極めて難かしい状況下にあった。このような場合、特段の事由がないのに、路肩すれすれに走行することは通常ありあえず、左端に幾分余裕をもって走行することが普通の運転方法である。このような状態で、原告車の方から言えば幅員の狭い橋に進入した直後であり、被告車の方から言えば幅員の狭い橋から出て右へとカーブ道路に向う直前である。距離の測定および相手車の速度の判断を誤り、あるいは徐行を怠れば、それぞれ左端に避譲するのが遅れ、衝突する蓋然性が高いというべきである。

第四に、双方とも、その車両左側部分に欄干との衝突、接触による損傷があることが確認されていないことである。衝突の危険をいずれかが事前に強く感じれば欄干への接触などを考慮せずに思い切りハンドルを切るのが通常であるのに(一方がセンターラインオーバーをしてきた場合にこれを避けんとした他方車は路肩外に飛び出し、あるいはガードレールに接触衝突していることが多いことは当裁判所に顕著である)本件の場合には思い切り左に切ったという確証がない。このことは極めて直前に至るまで双方とも危険を感じなかった、言いかえれば無事すり違えると思っていたとの推測が可能である。

以上の次第である。

幅員が狭いのに、長くかつ交通量も多い橋上を、しかも相当深い霧が立ち込めている状況の下に自動車を走行せしめるには、車の走行個所、速度(相当の徐行が必要である)につき余程慎重な措置をとって運転しなければ、対向車との事故発生の危険が大きいものと言わなければならない。本件において前記認定事実によれば原告車も被告車もこのような特殊の状況下において自動車を走行せしめるための注意が十分であったとはいえない。本件事故は、衝突後の両車の破損状況からして、この点の注意を怠り、漫然と橋の中央寄りを時速約四〇キロメートル程度の速度で進行した過失によって発生したものと認めるのが相当である。ただし衝突の際、原告車と被告車のどちらがどれだけ橋の中央より右側にはみ出して走行したか、あるいは双方とも同じようにして走行したかという詳細な点については、当裁判所の心証をひくに足りる証拠はないからこの点については相手方に自己より余計にはみ出して進行した過失があったことを主張する原告被告双方の主張はいずれも採用できない。

三  次に責任原因について判断する。

(一)  原告(反訴被告)に過失があったことは前記のとおりであるので、原告(反訴被告)は民法七〇九条により被告(反訴原告)川口資材に生じた損害を賠償すべき責任がある。

(二)  訴外臼子が被告川口資材の従業員であることは当事者間に争いがなく、被告車は同被告が東京日野自動車株式会社から購入したものであり、事故当時川口資材の業務の執行中であったことが、≪証拠省略≫から認められるので、被告川口資材は被告車を自己のために運行の用に供していたものというべく自賠法三条により原告の損害を賠償すべき責任がある。

(三)  被告鹿島工業が昭和二八年五月に設立され、資本金九八〇〇万円で、コンクリート製品の製造販売等を業とする会社であること、被告川口資材が被告鹿島工業の役員らによって昭和四二年八月に設立され、資本金一〇〇万円で、埋土の採取販売等を業とする会社であること、両会社は、被告川口資材が被告鹿島工業に資材を一手に納入し、同被告がこれを製品化して販売するという関係にあること、本件事故が被告鹿島工業へ資材を運ぶ途中に発生したものであることは当事者間に争いがなく、被告両名が同一の場所に本店を有し、代表取締役以外はほとんど同じ人が取締役に名を連ねていることは本件記録上明らかであり、被告車の自賠責保険を被告鹿島工業がかけていたことは同被告の明らかに争わないところである。

以上の事実によると、被告川口資材は、被告鹿島工業の資材部門が独立して法人格を取得したもので、同被告のいわゆる子会社であり、同被告は、これに資材を供給させ、被告車について自賠責保険契約の当事者になるなどしてその運行支配と運行利益を有していたと認められ、これに反する証拠は何等ない。

よって、被告鹿島工業もまた被告車の運行供用者であると認められるから、自賠法三条により原告の損害を賠償すべき責任がある。

なお、前認定の事実関係によれば、被告ら主張の免責の抗弁は採用できない。

四  損害

(本訴)

≪証拠省略≫によれば、原告は、本件事故により頭部外傷、脳震盪、脳圧亢進症、骨盤環骨折、左第二中手骨々折、右頸骨顆骨折(関節内)の傷害を負い、志木中央病院に昭和四三年七月二〇日から昭和四四年二月四日まで二〇〇日間入院し、退院後昭和四五年四月三日現在毎月九回位の割合で通院中であるが、なお神経系統に障害が残っており、右肘、右足がしびれ、涙が出るし、難聴も次第によくなってはいるが完治するには至っていないことが認められる。

そこで、以上の事実を前提に、以下損害の数額について判断する。

(一)  休業損害

≪証拠省略≫によると

原告は訴外すずめタクシー有限会社に勤務し、事故前三ヵ月の平均給与は月額五万三二九八円であったこと、右治療に伴ない昭和四三年七月二〇日から昭和四五年四月現在なお休業中であること、そのため、その間の月給のほか、昭和四三年度下期、昭和四四年度上期および下期の得べかりし賞与合計一七万一〇〇〇円(一期五万七〇〇〇円)を受けられなかったこと、しかしその間労災給付金六三万二三二四円を受領したことの各事実が認められる

原告の前記傷害の程度および治療経過からすると右休業期間のうち一九ヵ月間の限度で相当と認められるから、これによると原告の休業損害は次の計算のとおり五五万一三三八円と算定される。

53298円×19+57000円×3-632324円=55万1338円

(二)  逸失利益

前記後遺障害に照らすと原告の労働能力の喪失は、昭和四五年一月から七年間は三〇%その後五年間は一五%、その後三年間は五%と認められるので、右期間の逸失利益の現価を、年五分の割合による中間利息をライプニッツ式計算にしたがって算出すると次の計算のとおり一七一万三〇六二円となる。

(53298円×12+57000円×2)×30/100×5.7863130万8125円

(53298円×12+57000円×2)×15/100×(8.8632-5.7863)34万7801円

(53298円×12+57000円×2)×5/100×(10.3796-8.8632)5万7136円(+171万3062円)

(三)  交通費

≪証拠省略≫によると、原告は通院交通費として三万一〇〇〇円を支出し、同額の損害を受けたことが認められる。

(四)  付添看護費

≪証拠省略≫によると、原告は、前記入院期間中のうち昭和四三年七月二〇日から同年一二月二〇日までの五ヵ月間は付添看護を必要とし、その間原告の妻が付添ったことが認められるところ、妻の右労務は一ヵ月三万円と評価するのが相当であるから、原告の付添看護費相当の損害は一五万円と認められる。

(五)  入・通院雑費

≪証拠省略≫によると、入院中原告は五万円を超える雑費を出捐していることが認められるが、このうち事故と相当因果関係のある損害は入院一日につき二〇〇円の割合による四万円と認めるのが相当である。

よって以上(一)ないし(五)の損害合計は二四八万五四〇〇円となるところ前記原告の過失を斟酌するとほぼその六割にあたる一五〇万円をもって被告らに請求しうるものと認めるのが相当である。

(六)  慰藉料

原告の傷害の程度、過失の態様その他諸般の事情を考慮すると一一五万円をもって慰藉するのが相当である。

(七)  弁護士費用

原告が本件訴訟追行を原告訴訟代理人に委任したことは当事者間に争いがなく、前記認容額、証拠の蒐集、被告らの抗弁の程度等諸般の事情を考慮すると被告らにおいて負担すべき弁護士費用の額は二五万円が相当である。

(反訴)

(一)  車両損

≪証拠省略≫から、反訴原告川口資材は、被告車を所有権留保の特約付で買受けて使用していた者であるが、本件事故により破損した被告車の修理代として二七万〇六二一円を支出し、同額の損害を受けたことが認められる。

そこで反訴原告の従業員である訴外臼子の前記過失を斟酌すると、ほぼその四割を過失相殺すべきであるから、右金額のほぼ六割にあたる一六万五〇〇〇円をもって反訴被告に請求しうるものと認められる。

なお本件は原告(反訴被告)および被告(反訴原告)が、過失相殺における相手方の過失として立証しえた事故に対する寄与度は、それぞれ四割程度にすぎないので、本訴、反訴とも四割を過失相殺するに止めた。

(二)  弁護士費用

反訴原告が反訴提起を弁護士たる反訴原告訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、右認容額、反訴被告の抗争の程度等を考慮すると、反訴被告において負担すべき弁護士費用の額は三万五〇〇〇円が相当である。

五  よって本訴につき、原告が被告ら各自に対し二九〇万円およびこれに対する不法行為の日の後である昭和四四年八月二日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるので認容し、その余は失当として棄却することとし、反訴につき反訴原告が反訴被告に対し二〇万円およびこれに対する反訴状送達の日の翌日である昭和四四年九月四日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるので認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用については民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言については同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂井芳雄 裁判官 小長光馨一 佐々木一彦)

〈以下省略〉

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